「ばけばけ」は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻・小泉セツをモデルにしたフィクションです。
実在の二人の歩みを知ると、ドラマの背景が理解しやすくなります。
ここでは、八雲とセツのプロフィール、松江との関わり、代表作の位置づけ、ゆかりのスポットをまとめます。作品は原作なしのオリジナルで、史実をそのまま再現するものではありません。
小泉八雲の基礎情報(ラフカディオ・ハーン)
1850年、ギリシャのレフカダ島生まれ。アイルランド等で育ち、米国で新聞記者として活動後、1890年に来日しました。
1890年8月に島根県尋常中学校の英語教師として松江へ赴任。「知られぬ日本の面影」「怪談」など多数の著作を残し、1896年に帰化して「小泉八雲」となり、1904年に54歳で亡くなりました。
小泉八雲記念館のサイトには、左目の失明など生い立ちの要点も記録されています。
小泉セツの基礎情報(1868–1932)
松江藩士の家系に生まれ、幼くして親戚の稲垣家に養女として育ちました。
明治の生活変化の中で家計を支え、1891年ごろにヘブン(八雲)の身の回りの世話のため住み込みで働いたことが出会いのきっかけです。
のちに結婚し、熊本・神戸・東京へと移り住み、四人の子どもに恵まれました。夫の執筆を支える“語り手”の役割も担ったそうです。
二人の出会いと結婚の経緯
英語教師として松江に赴いた八雲の家に、セツが住み込みで入ったことが始まりです。
1896年2月、八雲はセツの戸籍に入夫する形で正式に結婚し、日本国籍を取得しました。この点は松江の記念館資料で一貫して説明されています。
松江との縁と“旧居”の見どころ
松江では「小泉八雲旧居(ヘルン旧居)」に約5か月居住しました。旧居は国指定史跡で、隣接の小泉八雲記念館とあわせて、八雲の生涯や作品の背景、愛用品の展示がわかりやすく整えられています。開館時間・所在地は観光公式で確認できます。
作品の位置づけと“怪談”の意味
八雲は日本文化・風習に関心を持ち、各地の話を再話・記録する形で「怪談」などを著しました。
松江は“聞いたもの・見たもの・心に響いたもの”が重なる街として、記念館展示でも大きな位置づけです。ドラマの“物語好き”という基調は、こうした実像から着想を得ていると読み取れます。
ドラマと実地の接点(洞光寺の鐘の音 ほか)
「ばけばけ」では、松江市の洞光寺で撮影が行われ、劇中の“鐘の音”に実際のご住職が撞いた音が使われたと地元の観光・ロケ支援が公表しています。
史実としても、八雲が仏教寺院の鐘の音に強い印象を抱いた記述が紹介されています。現地は住宅地に近いので、見学時はマナーに配慮が必要です。
ゆかりの地めぐりの基本(松江中心)
- 小泉八雲記念館—生涯と作品をコンパクトに学べる常設展示。音声展示も充実。
- 小泉八雲旧居—座敷から庭を見る体験は、随筆に触れる入口になります。
- 洞光寺—ドラマのシーンで注目。境内では静粛・撮影マナーに注意。
※移動は松江城周辺とセットにすると回りやすく、城下町の空気も感じられます。
よくある疑問
- ドラマは史実どおり?
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原作のないフィクションです。実在の人物・地名を下敷きにしつつ、物語として再構成されています。
- “ヘブン”という名と失明設定の根拠は?
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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の来歴・左目の失明は記念館資料で確認できます。ドラマ上の呼称・描写は作品の設定です。
まとめ
「ばけばけ」の背景には、松江で出会い、やがて夫婦となった八雲とセツの実像があります。
二人の歩みは、旧居と記念館で具体的にたどれます。ドラマはフィクションですが、ゆかりの地を回ると、人物の性格や“物語好き”という基調が実感しやすくなります。
撮影地の洞光寺を含め、現地を訪ねる場合は、寺社・住宅地としてのマナーに配慮して静かに楽しむのがポイントです。

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