「島田秀平さんの“相方”って、いま何をしてるの?」—つまり、お笑いコンビ“号泣”のボケ担当・赤岡典明さんは今に荷をしているのでしょうか。
号泣は1996年結成、2008年に一度解散しましたが、2020年に再結成。
現在はネタやトークに加えて、赤岡さんが脚本・演出や動画制作にも関わるなど、活動の幅を広げています。
まずは赤岡さんの基本プロフィールをおさえ、そのうえで「号泣の歩み」「再結成の裏側」「いまは何をしてるのか?」を見ていきましょう。
島田秀平さんの相方・赤岡典明とは何者か——プロフィールと基本情報
赤岡典明(あかおか・のりあき)さんは、“号泣”のボケ担当。
長野県出身で、身長はおよそ185cm。
趣味は音楽鑑賞(ヘビメタ系)、特技はバスケットボール。
相方の島田秀平さんとは幼少期からの知り合いで、後にコンビを結成しました。
現在もホリプロコムのプロフィールに名前が掲載され、コンビとしての出演や制作活動に関わっています。
- 基本プロフの要点
- コンビ:号泣(ボケ担当)
- 出身:長野県
- 身長・体重:185cm/75kg(プロフィール値)
- 趣味・特技:ヘビメタ鑑賞/バスケ
- 所属表記:ホリプロコム(公式プロフィール掲載あり)
- SNS・発信(公式系・ご本人発信)
- note:再結成時の心境や制作の話が読める
- ラジオ系配信:「開運ラジオ」などコンビ発信の痕跡
- TikTok/YouTube:ショートコメディなど動画制作の場
号泣の結成と歩み——コンビ名の由来と初期の活動
号泣(ごうきゅう)は1996年に結成されたお笑いコンビです。
2008年6月に一度解散し、2020年7月に12年ぶりの再結成を発表しています。
結成当時の二人は、いわゆる“正統派のしゃべくり漫才”に近いスタイルで、テレビのネタ番組やライブで経験を積みました。
身長が185cm(赤岡)/184cm(島田)とどちらも高く、舞台での立ち姿に迫力があるのも特徴です。
プロフィール上のサイズや趣味・特技(赤岡=ヘビメタ鑑賞/バスケ、島田=手相・怪談など)は、のちに二人の“役割分担”にも活きていきます。
舞台とネタ番組
1990年代後半〜2000年代前半は、若手がテレビのネタ番組で名を広める時代でした。
号泣もこの流れに乗って露出を増やし、ライブとメディアの両輪で活動。
2006年にはM-1グランプリに挑みますが、決勝進出はならず。
そこから二人の方向性の“ズレ”が少しずつ大きくなり、2008年に解散という大きな決断に至ります(のちに再結成)。
当時〜再結成については、本人たちがラジオ出演で語っています。
コンビ名の由来について
公式サイトやプロフィールに“由来”の一文は明記されていません。
赤岡さんがドッキリで島田さんの椅子に画びょうを仕掛け、そのあまりの痛さに島田さんが「号泣」した、というのが名前の由来に一役買ってるといわれているそうですが、それが理由とは明言されていません。
解散→再結成までの「間」に起きていたこと
解散後、島田さんは“手相”や怪談トークでソロの知名度を確立。
赤岡さんは脚本・演出や創作活動に比重を移します。
2020年、倉本美津留さんのYouTube生配信で12年ぶりに漫才を披露し、その流れから再結成へ。
本人コラム(note)にも“なぜ再び組むことにしたか”が率直に書かれています。
二人は幼少期からの縁があり、解散中も“距離はあれど完全な断絶ではなかった”ことが、赤岡さんのnoteからもうかがえます。こうした関係が、2020年の自然な“再合流”につながった可能性があります。
再結成したとはいえ、現在の赤岡さんの活動は“制作寄りの現場感”が強いのが近年の特徴です。
号泣のテレビ出演歴——オンエアバトルやエンタの神様の時代
1990年代後半〜2000年代前半、若手芸人の登竜門だったネタ番組に号泣は多数出演していました。
代表的なのはNHK「爆笑オンエアバトル」、フジテレビの「続!ボキャブラ天国」、日本テレビの「エンタの神様」など。
公式の来歴一覧にも“過去の代表番組”としてこの並びが載っており、当時の露出の“主戦場”がネタ番組だったことがわかります。
番組ごとにどんな強みを見せた?
- 爆笑オンエアバトル:観客判定で“オンエア/ネタ見せ止まり”が決まる実戦型の舞台。テンポ良く畳みかけるしゃべくり漫才が評価されやすく、号泣はここで漫才力の基礎体力を付けました(番組掲載歴より)。
- 続!ボキャブラ天国:言葉遊びやフレーズのキレが試される場。高身長の二人(赤岡185cm級/島田184cm級)の立ち姿と間合いが、短い尺でも“画面映え”する要素になりました(サイズは公式プロフより)。
- エンタの神様:キャラ性やフックのある言い回しが強い番組。号泣は勢い×言葉で押すスタイルをここでも磨きました(番組掲載歴より)。
解散から再結成までの経緯——号泣に何があったのか
号泣は1996年結成 → 2008年6月に解散 → 2020年7月に再結成というSTEPを踏んでいます。
解散期(2008年)
2000年代のネタ番組全盛期を走ったのち、二人は2008年に解散。
当時の詳細な経緯は公式に長文の説明があるわけではありません。その後、島田秀平さんは“手相・怪談”など個人特技でソロの露出を強化し、赤岡さんは脚本・演出や創作寄りへ比重を移します。
再結成のきっかけ(2020年)
再始動は倉本美津留さんの「YouTube大喜利」企画が“火種”。
当日の流れは、倉本さん本人のブログと赤岡さん自身のnoteで生々しく記録されています。
番組内で久々にネタを披露 → 倉本さんが「M-1まだ出られるみたいだよ」と促す → 「じゃあ出よう」と一気に流れが決まる、という“現場の勢い”が鍵でした。
一方で、赤岡さん本人は「その場は“一回きり”のつもりだった」と回想しています。つまり、“予定調和ではない再結成”だったことがnoteからわかります。
再結成後の動き
2020年の再合流以降は、M-1挑戦の表明や心境の共有をnoteで継続。
のちに「最後のM-1は出ません」といった判断も自身の文章で説明しており、動向は本人の記述が最も確かです。YouTubeのインタビューでも、「12年ぶりの再結成→M-1挑戦」について語られています。
赤岡さんはnoteで「再結成とは“間合い”をすり合わせる作業」と表現。
12年のブランクで蓄積した“経験値の差”を認めつつ、“昔の間合いはすぐ戻る”という職人的な感覚も示しています。
まとめ——「いま何してる?」の答えと読みどころ
赤岡典明さんは、号泣のボケとしての活動を保ちながら、脚本・演出など“作り手”の顔を強めています。

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